本当に本当に辛かったつわり。
一生経験したくないですが、つわりになったことで気づいた大切なことについてお話ししていきます。
つわりなって気づけた大切なこと。
それは、“頑張りたくても頑張れない時がある”ということです。
とても恥ずかしいのですが、自分がつわりになるまでは「つわりは病気じゃない」と思っていた1人でした。
自分が望んで子供ができたのだから、自己責任。
ドラマでよく見る「うっ…なんかちょっと気持ち悪い」というのがつわりでそれ以上でもそれ以下でもないと思っていました。
会社でつわりで休んでいるという人がいると
「自分が望んだんじゃないの?」
「つわりで休むって根性が足りないんじゃないの?」
と思っていました。
しかし、自分がつわりになってみると、24時間続く気持ち悪さ。
今まで何とも感じていなかった匂いでも少し嗅ぐだけで吐いてしまう。
食べたいと思ったものを食べても美味しく感じられない。
飲みたいものも食べたいものも何もなく、頭痛、倦怠感、微熱がずっと続き、やる気も生きる気力すらなくなりかけ、横になっていても決して楽ではなく熟睡できない日々。
子供が欲しかったので妊活をして授かった可愛い我が子にさえ
「この子がいなければ…」
と考えてしまう自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
産休に入るギリギリまでバリバリ働くつもりでした。
ギリギリまで働くことで産休・育休中の手当の額が増えるのはもちろんですが、
職場の人たちから「まみさんが産休に入って困ったよ〜早く戻ってきて〜」と言われたかったという思いもありました。
そんな風に「つわりは病気じゃない」と思っていたし、ただ根性が足りないだけだと思っていたからこそ、自分が今まで通りに仕事ができないことが辛くて情けなくて許せませんでした。
気持ち悪さやだるさがある中、頑張って仕事をしようとパソコンに向かってもやる気はあるのに全く文字が頭に入ってこないんです。
文字を何度読み返しても理解ができなかったり、普段なら絶対にしないようなミスを連発してしまったり…
自分の中では精一杯やっているつもりでも、事情を知らない人から見たらサボっているかやる気がないと思われても仕方ないような仕事量しかこなせず、本当に自分自身に苛立ちました。
今まで体力だけはあり、仕事が終わらなければ残業や早出でカバーし、何とか期限通りに仕事が終わるように頑張ってきたのに、1時間すら集中することができない現実。
きちんとやっているつもりでもできていない自分が許せませんでした。
しかし、そんな私に対して上司は
「身体を第一に、辛い時は横になって休んでもいいし、休暇を取ってもいいからね。仕事量だって今できることをやってくれれば何の問題もないよ。」
と言ってくれました。
私が上司と同じ立場だったら、同じお給料をもらっているんだし、仕事は仕事なんだからちゃんとやらないの?と思っていたと思います。
自分自身が許せず、苛立ち、情けなく、他の人に対して思っていた「頑張ればできるでしょ」という言葉が自分にのしかかってきて、消えてしまいたいと思っていた時にそんな言葉をかけてくれ、涙が止まりませんでした。
どんなにやる気があっても、どんなにやりたくても、身体の状態、心の状態でどうしようもなくできない時があるということをつわりの経験から初めて学びました。
つわりになってからは、持病や家族の介護など人には様々な事情があって頑張りたいけどできないということがあると思います。
仕事は仕事なんだからというのも間違ってはないと思いますが、本当にやりたくてもできないこともあるのだなと学び、今までは「ちゃんとやってよ」としか思わなかったのが、「この人は今大変なんだ。今、私が代わりにできることがあったらやろう」と思えるようになりました。
その人の本当の意味での大変さはその人にしかわからないけど、人には様々な事情があると考えられるようになりました。
私に優しい言葉をかけてくれた上司は
私が「自分が仕事なんだからちゃんとやってよ」と思ってしまっていたので、今自分ができていないことが申し訳なくて辛いという話をすると
「今気づいたことを自分以外の人が大変な時に返していけばいいと思う」と話してくれました。
つわりにならなかったら、周りの人が辛い時でも「あの人は頑張りが足りない、根性が足りない」と勝手に決めつけ、その人を恨みながら仕事をし続けていたと思います。
それに気づけたのは本当によかったし、神様はそれに気づかせるために私につわりという試練を与えたのかなという気がしました。
その考え方ができてからは、人それぞれ抱えているもの、大切な家族がいることを思い出し、ただ「仕事なんだからちゃんとやってよ」とだけ思うことはなくなりました。
人の痛みを理解しようとか、寄り添うような考え方ができる人間になれてよかった…そんな風に思います。